6. 情報・メディアの重要性

 今まで述べてきた中国に関するすべての問題、課題、将来予測などに必ず深く関連し、避けて通れないのが、情報の流通であり、それを実行し管理するメディアの問題である。
 湾岸戦争時におけるクエート大使の娘の見事な芝居演出放送、最近のいわゆる「イラク戦争」における女性兵士の救出「作戦」アメリカ国内報道とその直後の政府支持率の異常なアップ、この事実をすぐハリウッド映画化しようとするアメリカの商業魂など、テレビ放送の役割の大きさは計り知れないものがある。戦争が始まるはるかに前から、綿密な情報・報道戦略、メディア管理・操作が行われていたことは周知の事実である。いわゆる自由主義国家、ジャーナリズムが確立されていると信じられているアメリカでさえ、過去のベトナム戦争での「反省」から、綿密な報道規制、積極的な情報操作、演出が行われているように思える。
 ここで新聞、放送などのメディアやジャーナリズムについて論ずるつもりはないが、2001年11月に北京メディアセンターで行われた中国社会科学院主催の国際シンポジュウム「日中新時代におけるメディアの役割」において筆者が講演した中から、今回の中国に関する諸問題に関連すると思われるいくつかの点について述べてみたい。
 テーマは「マルチメディア時代のコミュニケーション〜マクルーハンのメディア論とユビキタスメディア」であった。マクルーハンは1964年に「メディア論」を出版し、世界のメディア、言論界に大きなショックを与えた。それから約40年経って人類はかって経験したことのない急激な技術文明の進化と、劇的な自然環境の悪化を同時に経験している。本学の学術フロンティアプロジェクトの大きな命題の一つでもあるアジアの環境も、今後の同じ程度の期間(40〜50年)で危機的状態に陥る可能性がある。そこには、国家体制、政治・経済の問題を越えて人類の叡智を結集して解決してゆかねばならない大きな課題があるが、そこにこそ「メディアの役割」があり、特定の国に限らずグローバルな問題として取り上げるべきものであると考えるのである。
 マクルーハンは、メディアにとって重要なのはその「形態」ではなく「内容(コンテンツ)」である、という最近の論調とは違って、「メディアにとって重大なのは、その内容ではなく、メディアそれ自体であり、メディアの形式がその内容を規定する」と主張している。筆者は、彼の基本的哲学ともいえるこの主張を、このマルチメディア/ネットワークメディアの現代にこそ改めて熟読玩味し、再評価すべきであると主張した。
 単にテレビ報道規制、メディア統制に限れば確かに「形態よりも内容」と理解することも可能だろう。しかしこれからのインターネットのような自立分散型のネットワークシステムが世界の情報資源の流通の中心的役割を果たすようになると、まさにマクルーハンの主張が現実になるのではないか。そのような情報環境になった時、中国の政治体制はどのような反応を示し、どう対応し、その結果アジアの政治・経済の安定にどのような影響を与えるのか。
 現在の中国では「ウエブ公安」がインターネットウエブサイトの内容に逐一目を光らせ、国家機密漏洩罪で取り締まることもあるという。山東省の民主派ウエブサイト「新文化論壇」は内容が不適当と閉鎖されたし、天安門事件や幹部の汚職などを掲載したホームページ「天網」という四川省のサイト出版者は逮捕されたという。ただし国外のサイトは閉鎖できないので、カナダを中心に展開している「大参考」というサイトなどには軍上層部の腐敗に対する決起の動きなどの内容が出るため、中国当局が極めて神経質になっているという。これらの「情報」の真偽は確かではないが、現在すでに、外部情報へのアクセスは制限されているにしても、海外のニュースを読むにはそれほど難しくはないようであり、いずれ情報の鎖国が崩れる運命にあることは容易に予想できる。ただしインターネットがそのまま民主化を促すと考えるのは危険で、逆に破壊的なハッカー攻撃にさらされることもあり得るであろう。
 一方では、政府系研究所が発行する雑誌「財経」の編集長胡舒立さんは、SARS(非典)問題で北京市当局が現場の医師らに「隠蔽」を命じたことなどを次々と特ダネで報じ、党や政府機関直轄の主要メディアとは一線を画した新興メディアとして注目され、高く評価された。また彼女の弟子の麗萍さんは主要メディアの一つである中国新聞社の女性記者として胡舒立さんと競い合い、「すべてを報道できるわけではない。でも中国の市場経済化が進み、報道できる部分が相当出てきているのは確か」といい、「もっと情報公開が必要だというのが我々の共通認識だ」といって、深刻な院内感染の実態を明らかにしていった。ただ、これをもって「報道の自由」にむけて進んでいるとは云いにくいという。精華大学国際伝播研究センターの李希光教授によれば、「SARS報道を通じても、報道機関と政府の間には何の衝突も起きていない。中国メディアはやはり政府とともにあった」といっている。それは、その後の政府、北京市要人の人事をみれば明らかであるが、新聞報道などによっても、官製メディア離れが進んでいることは確かなようである。いずれにせよ、これからのインターネット時代に社会主義市場経済を導入しようとする中国が、言論の自由、情報の公開と管理・操作をどのようにバランスさせながら国家体制を構築していくのかが極めて重要な課題であり、今後の研究テーマとしても注目していきたい。
 自然環境の保全、整備に限っても、情報の共有によってアジアの人たちが一体となって取り組むことは可能であろうし、情報環境の維持、利用の仕方を多くの国の関係者が共同で調査・研究するなどの方策も積極的に提案していくべきであろう。