3.カタストロフィーからカオスまで

70年代のカタストロフィー・ブーム
 私がアメリカに留学した頃(1973年)の日本は、カタストロフィーがブームでした。カタストロフィーは、フランスの数学者で1958年のフィールズ賞の受賞者であるルネ・トムが発表した理論です。力学系(すなわち微分方程式と解曲面の幾何学)における、特異点(すなわち、不動点、周期軌道もしくは微分方程式が定義されない点など、周囲と様相の異なる点)の構造安定性の研究です。パラメーターが変化するとき、特異点の数や周りの状況が変わらないことを構造安定性とよびます。構造安定性の分析は、社会科学、生物などを含む諸分野での不連続な変化を説明するために応用できると期待されたのです。トムが、カタストロフィーを発表して間もない1966年に来日し、そして国際会議に出席するために1973年に再度来日したこともあり、当時の日本は雑誌、テレビも含め何だか世の中のあらゆることを説明してくれそうなカタストロフィー理論として取り上げられたものです。
 カタストロフィーとは、用語としては突然の「大変動」「大惨事」、悲劇的「終末」などの意味です。1973年は、10月にイスラエル対エジプトとシリアの間の第4次中東戦争が勃発し、アラブの石油輸出国が原油の生産を削減し、原油価格が高騰するという第1次石油危機があった年です。同年11月には、不安に思った消費者がスーパー・マーケットのトイレット・ペーパーを買いに殺到するという、いわゆるトイレット・ペーパー騒動が起きています。カタストロフィーが流行する状況に日本があったのです。長引く不況と経済危機がある中で、複雑系が流行する今の状況と似ています。
 1970年代に出版されたカタストロフィーの解説書は、株式市場などの経済への応用、人間関係から社会の変化、地殻変動、受精卵の分割、脳のモデルなどへの応用にふれています。複雑系について現在出版されている解説書と同じくらいに広い分野への応用が期待されていたのです。このことは、悪くとると、新しい理論が登場するたびに、いつも、人智を超えた自然現象が解明されるかのように宣伝されているということになります。良くとると、カタストロフィー以来期待されていた、数学の周辺科学への応用が、複雑系の応用によって、より現実的になってきたということになります。どちらの見方にも一片の真実はあります。経済学への応用においても複雑系の場合は、カタストロフィーと比較するなら、より具体的で、より分析的になっています。これは、カタストロフィーと複雑系のブームの間に、カオス理論の発展があったことが大きく貢献しています。

使えなかったカタストロフィー理論
 カオス、複雑系と発展してきた今、カタストロフィー理論で期待されてきたことが、少しずつ可能になってきていることがわかります。しかし、70年代には、カタストロフィーの流行は、いつの間にか終り、忘れられてゆきました。カタストロフィーは、不連続な動きや突然のジャンプを説明する理論なのですが、応用例がたとえ話に終ることが多かった、言いかえると、例としてあげられた現象、例えば経済の動きを表す微分方程式が通常の経済モデルで自然に登場する微分方程式と異なり、関連性がよくわからなかったからではないかと思います。
 経済学では、カタストロフィー理論が応用された分野は一般均衡理論です。一般均衡理論とは、多数の消費者、多数の企業、多数の財から成る経済の均衡に関するものです。各消費者は、予算の制約の下で、満足を最大化するように、財の組み合わせと需用量を決めます。各企業は、技術の制約の下で、利潤を最大化するように、労働、資源、機械の使用量を決めます。その結果、生産物への需要量と、供給量が決まります。予算制約も利潤も、財の価格、労働の価格(賃金)、機械の使用料(レンタル価格)に依存しているので、需要量と供給量も価格に依存します。需要量から供給量を引いた量を超過需要とよびます。
 いま、2つの財があり、その1つ1つの需要量をz1とz2として、 z1とz2の組をzというベクトルで表します。ベクトルとは、図3の矢印のことです。財の価格も、第1財の価格p1と第2財の価格p2を組にして、pと書きます。図3は、平面上の点が価格の組pを表わし、その点pを始点とする矢印が超過需要の組zp)です。坊主刈りにした人間の頭を想像して下さい。頭の毛穴がpでそこから生える毛が超過需要のベクトルです。渦の中心p*は、特異点です。p*は、すべての財の超過需要が0となる点、 均衡価格とよばれます。坊主刈りの頭の毛のように、すべての点とベクトルが定義されている状況をベクトル場とよびます。そして、じっと見ていると、頭に見えてくる渦は、微分方程式の解曲線です。このように、一般均衡が特異点、経済動学が価格とベクトル場や解曲線の組、すなわち力学系で表わされます。



 カタストロフィーが説明する不連続な変化とし、しばしば経済で用いられたのは、図4のような例でした。パラメーターaの値がa0から増加してゆくにつれて、均衡価格p1(a)が変化してゆき、それがa2で突然消えてしまいます。そのとき、実は、パラメーターaの値がa1のとき、 p1(a)と異なる均衡が出現していて、その1つp3(a)に、均衡がジャンプしてしまうというものです。これは、一見もっともらしいのですが、均衡の数がパラメーターの値によって変化するということ以上のことを言っていません。均衡価格が消滅して、別な均衡価格にジャンプするというためには、価格の動きを記述する動学を考えなければなりません。一般均衡理論では、p=z(p)という微分方程式で記述される動学を考えます。この動学では需要が供給を超過する、すなわち超過需要がある財の価格は上昇し、逆に需要が供給を下回る、すなわち超過需要が負である財の価格は下落するのです。均衡価格では、超過需要の値はです。パラメーターがa0からa1まで変化するとき、 p1(a)が均衡価格であり、a1を超えると均衡がなくなるとします。z(p)の値がパラメーターに関して連続であるなら、aがa1に十分近いときは、p1(a)はに近い値となります。よって、その点での価格の動きp=z(p)も小さいのです。aが変化して、突然に均衡価格でなくなっても、価格は少しずつ変化してゆき、他の均衡価格にジャンプすることはありません。経済動学で用いられる微分方程式や差分方程式を定める関数はパラメーターに関して、不連続に変化することはないのです。



 更に、ワルラス的な一般均衡モデルでの動学は必ずしも市場での価格の動学になっていません。それは、均衡価格以外では財の取引きが存在しないからです。もし、均衡価格でない価格pで取引きが行われるとすると、取引き後には、財の保有量が変わるため、取引きをした消費者の需要関数が変わってしまうはずです。各価格で同じ需要関数を用いているということは、取引きを行わず、財の需給の不一致に応じて価格のみを動かしているのです。このような価格の動学を模索過程とよんでいます。
 1970年代には、カリフォルニア大学バークレー校を中心に数学者と経済学者が、微分位相幾何学、測度論などを用いたより抽象的な一般均衡理論を精緻化させていた時期です。スメールが経済学の論文を書いていたのはこの頃ですし、バークレーのフランス人経済学者ジェラード・ドブリューは後にノーベル賞を受賞しています。
 日本でも、カタストロフィー理論の流行とバークレー流数理経済学の隆盛の影響で、京都大学の数理解析研究所で数学者と経済学者の共同のシンポジウムがたびたび開かれていました。

力学系としての経済学
 次に、企業が生産を行ない、家計が消費をし、市場で財の取引をするモデルでの動学を考えてみましょう。このようなモデルは、経済全体を1つのまとまりとしてとらえるマクロモデルとして発展させられてきました。これは、簡単化して言えば、今期に、どれだけの財を生産し、そのうちのどれだけを消費財とし、残りを将来の生産力をもたらす資本財とするかという問題となります。家計の側から言えば、所得のうち消費しない部分は貯蓄となります。家計の貯蓄と、企業の投資はマクロ的には同じ額になります。投資とは、資本財の増加分となります。従って、消費の最適量を決める、貯蓄の最適量を決める、投資の最適量を決めることは、すべて同じことになるのです。
 1928年に、イギリス人の数学者ラムゼーは、最適貯蓄理論についての資源配分の最適化条件を求めています。企業は将来に渡っての利益を最大化する生産を、家計は子供の効用(満足度の指標)を含めた将来に渡る効用を最大化する消費を行うなら、均衡では社会全体の厚生が最大化されることになるという定理があります。その定理を用いて、マクロ経済モデルは、社会的厚生を最大化するように、消費と将来への投資の最適量を決定する問題として定式化されます。
 図5は、1人当りの変数に直した生産量yと資本量kの関係である生産関数を表わすものです。投入資本量k0を決めると生産関数の高さが生産量y0となり、それを消費量c0と次期の資本量k1に最適に配分するのです。最適な資本量は生産関数の下に位置する右上がりの曲線hです。これと生産関数の高さとの差が消費量です。曲線hと45度線の交点Eは、定常解です。資本量の最適値を曲線h上の点A1の高さで決め、次期にはその値k1を初期値として、今度は点A2の高さで決めるというようにして、最適資本はストック最の動学が得られます。このモデルでは、すべての解が定常解k*に収束します。



 このようなマクロ的動学モデルは、1950年代から少しずつ精緻化され、1970年代には、資本財や消費財の種類が多数ある高次元の動学問題として、一般的に研究されていました。
 最適マクロ動学問題では、単なる微分方程式ではなく、効用関数と生産関数を与えて、最適問題の解として導出された動学方程式について、安定性を研究します。図5は、時間を0、1、2、3…と離散的に測った単純なマクロモデルでの動学で、定常解は安定です。時間を実数で表わす連続時間モデルでも、効用関数と生産関数が単純なものであれば、やはり定常解は安定的です。
 1970年代には、低次元で得られている安定性が高次元でも成り立つための十分条件が主に研究されていました。言わば線形性の研究が中心だったのです。一方、定常解が不安定になったり、周期解が登場するケースは例外的なケースであり、通常の仮定の下ではあり得ないとされていました。特に連続時間モデルでは、この傾向が強かったようです。連続時間モデルでは、最適化問題を解くのに、変分法かポントリャーギンの最大値原理を用います。後者の場合、資本財がn種類あると、価格もn種類の双対変較となるので、2n次元の連立微分方程式で一階の条件が記述されます。資本財が1種類の場合は、2次元の微分方程式となります。2次元の連立微分方程式の解は、発散するか、定常解に収束するか、図6のようなリミット・サイクル(極限関軌道)に収束するという、ポアンカレ=ホップの定理が知られています。これは微分方程式の解のもつ性質です。一方、最適問題の性質を用いると、リミット・サイクルは存在しないことが証明されます。したがって、発散するケースを除けば、解はすべての定常解に収束します。


図6 Eが定常解、太い関曲線はリミットサイクル


 1970年代のカタストロフィーの流行に影響され、私も経済学におけるカタストロフィーに関心はありましたが、先に述べたように、通常の経済モデルでは、動学方程式の解が、パラメーターについて、不連続に変化することはありません。従って、解そのものが、時間と共に周期的な動きをしたり不規則な動きをすることがないかという問題を考えていました。それも、2次元で起こり得ないのなら、4次元を対象にする必要があります。何故なら、資本財の数を2にすると、4次元の微分方程式を扱うことになるからです。
 この研究は、現在、ニューヨーク大学の社会科学系長を務め、当時南カリフォルニア大学にいたベンハビブとの共同研究でした。結局、3つの産業から成り、そのうち2つが資本財を生産する経済モデルで、定常解が不安定となり、他の解はリミット・サイクルに収束する例を見つけることができました。この論文の中では、リミット・サイクルの存在を証明するために、ホップの分岐定理を使う必要がありましたので、非線形動学を応用してゆくきっかけとなりました。論文は1979年に、「ジャーナル・オブ・エコノミック・セオリー」誌に掲載されました。
 70年代後半から80年代始めには、京都大学の数理解析研究所での経済学と数学に関するシンポジウムでは、トポロジーや力学系を専門とする数学者との交流が行われていました。私自身、1976年までいたロチェスター大学では、均衡解の存在と数の決定問題を、微分位相幾何学を使う方法で研究していたこともあり、数理解析研究所のシンポジウムは良い刺激になっていました。

収穫逓増
 1979年にニューヨーク州立大学バッファロー校に呼ばれた私は、そこで助教授をしていたデッカーと、生産関数が収穫逓増部分をもつケースでの最適解を求める研究を始めました。ちなみに、経済データがカオスによるものか、ランダムなショックによるものかを判別するBDSテストの、Dはデッカーのイニシャルです。私達が仮定したのは、図7の(ii)の形の生産関数でした。通常の生産関数の形が図7の(i)なので、それを(ii)のように変形しただけのものです。それでも、モデルとしては、今までの最も単純な、図5の動学を生むモデルとは全く異なり、最初はどうやって解いたらよいのか見当もつきませんでした。


図7 生産関数の分類


 経済学の多くの問題では、生産関数が収穫一定かもしくは収穫逓減を仮定します。この場合は、解くべき最適化問題の解を、変分法や最大値原理を使って導く方法が知られています。ところが、収穫逓増があると、その方法を直接使うことができなくなるのです。今まで、使ってきた数学的手法が役にたたないということが問題を難しくしていたのです。
 結局、この問題の解は、図8のような不連続な動学方程式で表わされることがわかりました。不連続の点は、臨界点となり、その点より初期値が小さいと、資本を食いつぶしてゆくことが最適な政策となるのです。注目すべきなのは、このケースでも増加し始めたら増加し、減少し始めたら減少し続けるという解単調性は保たれることでした。この論文は1980年代の春に完成し、83年に「ジャーナル・オブ・エコノミック・セオリー」誌に掲載されました。


図8 kcは資本の臨界値


 ここで、何故、最適モデルで動学方程式の性質を導くことが難しいのかを説明しておきましょう。
 最適動学モデルが難しいのは、最適性の一階の条件だけからは、動学方程式が導出できないことにあります。資本財が1種類であって、生産の条件を効用関数に代入すると効用を資本財の量の関数 v(kt, kt+1)として書き換えることが出来る。そこで一階の条件(オイラー方程式)をとると、これは、t - 1 期、t 期、t + 1 期の資本ストックの関数となり、それだけでは t + 1 期の資本ストックを t 期の資本ストック量で定める動学方程式が決まらないのです(図9)。動学方程式を求めるには追加的条件(横断性条件)が必要なのです。動学方程式が明示的に求まらないにも関わらず、循環したり、単調であるという性質を証明しようとすることが難しいのです。一方、他のモデルでは一階の条件が t 期と t+ 1 期の資本ストックにのみ依存するので、t 期の資本ストックの量を t+1 期の資本ストック量に関係付ける動学方程式が導かれます。したがって、効用関数や生産関数に仮定をして、動学方程式が特定の性質を持つようにするのは容易なのです。もし、収穫逓増部分がなければ、オイラー方程式をみたす経路のうち、追加的条件(横断性条件)をみたすものだけが最適解です。しかし、それがわかって、追加的条件をもちいたとしても、オイラー方程式を解いて具体的に最適解や動学方程式を求めることはできません。最も単純なケースでは、具体的に解を求めることをしなくとも最適解の性質がわかり、図5のような、単調性と安定性が証明できます。収穫逓増が入ってくると、このような単純なケースにおいてすら、横断性条件をみたすオイラー方程式のみたす解が最適とは限らなくなり、難しくなるのです。


図9 オイラー方程式


景気循環の証明
 1980年から、私は南カリフォルニア大学に移り、今度は離散時間モデルで、循環が生ずるケースの研究を始めました。
 単調性や安定性などの単純な解のふるまいを証明する場合は、より一般的な状況の下で証明することに意味があり、一方、解が複雑にふるまうことを証明する場合は、出来るだけ従来と同じ収穫逓減の仮定を維持しながら、証明することに意味がある。したがって、循環をより良く説明する理論は、出来得るなら収穫逓減の世界、すなわち新古典派理論の枠組みの中で、作られるべきであるというのが私の考えでした。
 ところが、従来の経済モデルから導かれる結果の多くは、市場メカニズムがうまく働く限りは、安定的な動学経路が得られるというものです。非線形モデルを用いてはいたけれど、線形モデルで近似でき経済予測も可能なモデルであったのです。しかし、現実には景気は変動し、好況と不況を繰り返しています。これに対する経済学者の立場は、いくつかに分れました。1つは、景気の変動は経済外的要因に左右されるというものです。太陽黒点の変動、気象や戦争などが経済外的要因の例である。更にすすめて、そのような経済外的要因がなければ、政府の政策の誤りのみが不況をもたらす、政府は貨幣供給量の伸び率を一定に制御するだけにして、市場に介入することをしなければ、ほぼ安定した成長ができるというのです。これは、合理的期待学派あるいは新マネタリストの見解です。一方、経済外的要因がないとしても、やはり市場にまかせるだけではなく、政府が好況期にインフレを抑え、不況期に需要を喚起するという積極的な経済政策を行なわなければならないという立場もあります。これは、ケインジアンの見解です。
 私の疑問は、何故景気が変動することが悪いことなのかということです。好況があれば不況があり、不況があれば好況があるのは自然なことです。むしろ、不況があるから好況があり、好況があるから不況があると言うべきなのかもしれません。それにも関わらず、これまで数理経済学の結論は、安定な持続的成長をもたらすものばかりでした。とはいえ、景気循環が全く研究されなかったわけではありません。1930年代の大恐慌の後、経済学者は不況から脱出する処方箋かあるいは恐慌の原因を説明する理論のどちらかを模索していました。前者がケインズ経済学を生みだし、後者が景気循環理論を発展させたのです。政府の積極的な役割を重視するケインズ経済学は、今日まで大きな影響を与えてきました。一方、景気循環理論は、サミュエルソン、ヒックス、カルドア、グッドウィンを中心とする人々によって研究されましたが、1950年代を最後に忘れ去られていったのです。これには、1950年頃から先進国の経済が比較的に安定し、大不況の不安がなくなったからという理由もあります。しかし、何より1950年代までの景気循環理論は、市場メカニズムがモデルに反映されない一般性を欠くモデルに基づいていたという理由が大きかったのです。一方、その後主流となる経済動学理論では、市場メカニズムに基づいてはいたが、景気循環を説明することができていませんでした。したがって、景気の変動を起こすのは、経済以外の要因であるとされました。これは、外生的景気循環理論とよばれます。


図10 クモの巣モデル


 景気循環は経済成長の1つの形態です。成長が止まればゼロ成長、不況が起こればマイナスの成長です。モデルを変えてしまえば循環が説明できることはわかっています。しかし、景気循環が生じるモデルは、経済成長モデルと同じものでなければなりません。
 ベンハビブと私は、1979年に発表したホップ分岐の論文では4次元以上でなければ景気循環を説明できなかったので、今度は時間を離散的にとらえて、一階の条件が差分方程式体系で表されるモデルを使って、低い次元でも循環を説明できないかを考え始めました。1981年の夏に私が日本に帰国してからも、連絡を取りながら研究を続けました。この新しい研究は、1981年の終わりまでには完成し、離散時間モデルでは、資本財が1種類であっても、2つ以上の産業からなる経済で景気循環を説明することに成功しました。複数の産業の生産関数を集計化して、経済全体での社会的生産関数を導出すると、変数間に強い非線形性が生じます。この非線形性が各部門の生産関数が収穫一定あるいは逓減を示す新古典派型の関数であっても、動学方程式が図11のような形になり循環が生じる要因となるのです。従来のマクロ経済学で用いられてきた、ソロー型と呼ばれる集計的生産関数は、集計的とはよんでいても、集計化に伴って生じる非線形性を反映していなかったので、循環を説明できなかったのです。ベンハビブとのこの論文で、経済の2部門のモデルに限るなら、各部門の資本・労働比率の大小、すなわち要素集約度によって、成長経路が単調であるか、循環するかが決まることが明らかになりました。このように、外的ショックがなくとも経済内の要因で生じる景気循環を内生的景気循環と呼びます。


図11


 実は、不均衡モデルであれば、循環を説明するのは更に簡単です。図10はクモの巣モデルと呼ばれ、農産物の価格形成の説明に使われる古典的な例です。これは需要曲線 D と供給曲線 S を用いて、市場で成立する価格の変動を説明するモデルの1つです。農産物は一旦生産されると、翌年までは保存が出来ない、そして、年に1回生産され、しかも一旦生産をされると、それを売り切る水準に市場価格が決まると仮定します。図の x0 が今年の生産量とすると、それを売り切る価格は需要曲線状の点 D0 の高さ p0 となります。農家は、今年の価格 p0 をみて、翌年の生産量を供給曲線上の点 S1 で決めます。生産量は x1 です。次の年に x1 が生産されると、価格は、x1 を売り切るように需要曲線上の点 D1 の高さで決まります。このようにして、価格も生産量も、循環するのです。クモの巣モデルが循環を起こすのは、均衡(需要曲線と供給曲線の交点)で価格と生産が決まらないということ、あるいは、即座に生産量を変えることができず、市場で成立する価格をみて決める次の生産量か実現するまでに時間がかかるということが原因です。前者をとらえると、不均衡モデルであるということになり、後者をとらえると、生産量の決定と実際に生産物が出来上がるまでにタイム・ラグがあるということになります。したがって、不均衡や生産のタイム・ラグによって、循環を説明できるのは明らかです。更に、異常気象や戦争など外生的ショックで景気が変動するというのも明らかです。とはいえ、不均衡、外生的ショック、生産のタイム・ラグが原因で景気が変動することを否定しているわけではありません。そのようなことが景気を変動させるのは事実であり、明白です。私の関心は、そのような要因をすべて取り去ったら、景気変動が消滅すると本当にいえるのかということであったのです。
 更に、もう1つ、合理性の仮定です。新古典派理論では、企業や個人は合理的な行動をとると仮定します。もし、合理性の仮定をはずすと非合理的な行動は無数にあり、なんでも許されることになります。したがって、非合理的なモデルでは周期解もカオスも何でもありとなります。合理性は、非合理性を測る尺度となりますが、非合理性は合理性を測る尺度となり得ません。同様に均衡は不均衡を測る尺度となりますが、不均衡は均衡を測る尺度となりません。これが非合理的な行動や不均衡の存在を必ずしも否定するわけではないのですが、それでも合理的な行動をする経済主体からなる経済の均衡モデルを研究することをより重要視する理由です。
 ベンハビブとの先の論文は、1975年の「ジャーナル・オブ・エコノミック・セオリー」に掲載されました。同じ年に、フランスの数理経済学者グラモンが、最適モデルではないのですが、エコノメトリカに掲載した論文に、ホップ分岐とカオスを扱ったこともあり、経済学における非線形動学が盛んになってきました。経済学におけるカオスの応用ということでは、ベンハビブとデイによる1982年頃の論文も既にありました。しかし、無限期間の最適モデル以外では、図9のオイラー方程式に対応する一階の条件が、kt と kt+1 のみの関数となり、陰関数定理を用いるなら、 kt の関数として、kt+1 を導くことができ、動学方程式をカオスを生む関数となるようにするのは比較的容易なのです。
 1983年頃、ベンハビブがイタリアで我々の論文を発表した際に、会場に数学者モントルッキョは、この問題に関心をもち、ロチェスター大学の大学院で私の後輩になるボールドリンとの共同論文で、この問題を解きました。彼等の論文が掲載されたのは1986年のことです。
 後になってから、私とデッカーとの論文と私とベンハビブとの論文の中で証明した結果は、ラティス理論の、それぞれがスーパー・モジュラーな関数とサブ・モジュラーな関数について、数学者トップキスが証明した結果から導かれることを知らされました。

上田 亮先生との出会い
 京都大学に赴任した1987年頃から、私と現在慶応義塾大学の矢野誠教授と共、最適動学モデルにおけるカオスの研究を始めました。ボールドリンとモントルッキョに先を越されて、カオスの例はできていると言っても、どのような生産関数や効用関数の下でカオスが生じるかは未だ明らかでなかったからです。
 ちょうどその頃、カオスのパイオニアとして著名な工学部電気の上田教授から、新しくスタートする学際的な国際的学術誌の Editorial Board を検討しているが、経済の分野で協力してほしいとのお話しをうけたのです。
 上田先生の関係で、日本におけるカオスの専門家である九州大学工学部の香田徹教授や、京都大学の数理解析研の高橋陽一郎教授と知り合うことができました。
 その頃、突然に、ボールドリンが連絡をよこしました。国連大学で開かれている「カオスの衝撃」という学際的な国際シンポジウムに参加するために来日したとのこと。上田先生もこのコンファランスに参加されていて、お二人は親しくなったということでした。
 その後、1992年の11月に、ロチェスター大学での私の後輩で明治学院大学の高橋青天教授が協力して下さり、非線形動学の国際シンポジウムを開催しました。ボールドリン、シェンクマンなど、当時アメリカのサンタフェ研究所と関係していた経済学者を含め、10人の外国人学者を招待しました。この時、上田教授には特別に講演をお願いして、カオスを発見した当時から論文が世に出るまでのお話しを聞かせて頂いたものです。
 この頃、私と矢野誠教授は、国際貿易市場で取り引きをする複数の国の経済の間の景気循環の連動性を調べていました。市場を通じての相互依存がどのように、経済の複雑な動きをもたらすかを分析したのです。市場というネットワークによる複雑系の研究です。一方で、一国の最適動学モデルで、産業が2つある簡単な2部門経済モデルでのカオスの研究もしていました。前者は、1993年の「エコノミック・セオリー」、後者は1995年の「エコノメトリカ」に掲載されました。