2.日本の経済政策

バブルへの道
 何がバブルかは定義次第です。日本の1980年代の終わりの経済をバブルと呼んでも、バブルではないと言っても間違いではありません。バブルが生成されて破裂するまでには、アメリカの政治的要因も、日本の経済政策も関与していました。バブルと言ってしまうと、人々が無謀な投機的行動を行なった印象だけが強くなり、政策当局の責任がうやむやになるということは注意する必要があります。しかし、ここでは話をわかり易くするために、一応、バブルという言葉を使います。一般に、ファンダメンタルズから乖離した価格上昇をバブルと言いますが、価格が大幅に上昇して、一時的にファンダメンタルズから乖離することはよくあることです。70年代始めの地価上昇も、その例でした。しかし、地価が急激に上昇して、高値で安定しても、インフレで物価や賃金が追い付き、オフィスや居住用家賃も上昇すれば、高い地価は、将来収益の現在価値と一致してきます。このようにして、地価とファンダメンタルズの乖離は、結果的には解消されるのです。したがって、バブルが、ファンダメンタルズと乖離したから必然的に崩壊したのではなく、急激な価格上昇があり、それが崩壊したから、事後的にそれをバブルと呼んでいるのです。
 ともかく、バブルが起きた経緯を振り返ってみましょう。話は1980年半ばに戻ります。日本の貿易黒字が巨額となったために、1985年のプラザ合意で、円高が容認され、その後の2年間で円が1ドル240円から120円へと2倍になりました。その頃から、日本は公定歩合を低く保つことで、資本の流入を防ぎ、円買い圧力を抑える政策をとり続けました。円が一気に2倍になったら、通常の輸出型依存企業は対応の方法があるわけありません。円高そのものではなく、短期間の急激な円高が悪いのです。日本の物価は変わらず、日本人の暮らしは楽にならないが、一方高くなった円をもとめて外国からの不法入国は増加します。対策は輸入を増やして黒字を減らすことです。そのためにも規制を廃止して、自由化を進めてゆかなければならないのに、政府は、利子率を低く抑えるだけで、後は何もしなかったのですから、どこかでまた歪みがたまって急激な変化をもたらします。
 この経過をもう少し詳しく説明しますと、黒字を減らすために、日本の総需要の拡大策として低金利政策がとられました。日本の低金利は、より高い金利のアメリカに資金が流れることを促し、ドル買い、すなわち為替レートをドル高にするのに役立ちます。金利が下がると、人々は借金をし易くなり、物への需要が増加し、物価が上がります。しかし、80年代には、円高による輸入品の価格下落もあり、日用品の価格は上がらず、株、土地のほかはゴルフ場の会員権や絵画など、高額商品の価格が急騰したのです。この点は70年代初頭の狂乱物価の時と異なる点です。株価が上昇するに連れ、企業が株式や社債の発行で、金融機関を通さずに資金調達を行なう直接金融が増加し、銀行の企業への融資が大幅に減少しました。銀行の製造業に対する貸し出しは、86年から90年まで減少し続け、融資先に困った銀行は、不動産業への貸し出し額を増加してゆきます。1985年から87年までは、円が1ドル120円に上昇し、公定歩合が5%から2.5%に下落し、株価が11,560円から2倍近くに上昇し、地価も同じく上昇した時期です。
 次の、1987年の末から89年末までの時期では、円は始めは120円前後で安定し、1988年11月に選ばれたブッシュ政権のドル高政策によって88年末から円安の動きを見せます。公定歩合は、2.5%の水準がしばらく続き、89年の5月から徐々に引き上げられます。株価は、87年10月19日(ブラック・マンデー)にニューヨークの株式市場での暴落の影響で、日本でも、19日の終値25,746円から、20日には、21,910円に下落したものの、その後、89年12月29日の38,915円までひたすら上昇を続けます。地価もこの間に急激な上昇をします。これが87年末から89年の終りまでの、バブルと言われる時期です。

マスコミの論調
 バブル期の1989年末には、ジャーナリズムに登場する多くのエコノミストが、今後もこの好景気が続くという楽観的な見通しをもっていました。高騰する株価も、日本のフアンダメンタルズを反映してると言われ、株価と為替レートのさらなる上昇が予想されていたのです。経済関係の本が飛ぶように売れ、今や経済の時代と言われていました。それは、1979年からの第二次石油ショックから立ち上がり、一旦、大幅な赤字となった経常収支を、80年代に入ってから黒字に転換し、その額を増加してきたこと、85年のプラザ合意によって、為替レートが2年間で2倍となるという円高による不況も克服し、いざなぎ景気という好景気を86年の末から迎えてきたことへの自信があったのでしょう。
 もちろん、87年から89年時に全ての人が、株と土地の高騰を日本のファンダメンタルズと思っていたわけではありません。しかし、経済界もマスコミも、強気の人の意見のみが取り挙げられ、皆が大合唱しているときには、それ以外の人の意見は取り挙げられないか、取り挙げられても無視される状況だったのです。
 ところが、90年代に入って、株が急落し、そして遅れて地価が下落してくると、突然、マスコミは時代の変化を宣言します。出版界では、経済書が売れなくなり、『清貧の思想』という本が一大ベストセラーとなります。これまで、日本のフアンダメンタルズの強さを歌っていたエコノミストを含め、マスコミに登場するほぼ全員が「あれはバブルだった」「何かの間違いであった」「地価はもっともっと下がるべきである」と大合唱をしだしたのです。極端から極端への転換です。平成不況と言われる長い不況の始まりです。
 バブルは、日本だけの現象ではありませんでした。 アメリカの金利が上がらなければ、自国の金利を上げられないという関係は日本に関わらずいずれの国でも同じです。金利を上げれば、資金が自国に流れてきて、自国の通貨が強くなり、一方ドルが相対的に弱くなるからです。したがって、80年代の終わりには、多くの先進国で株と地価の高騰が起きています。先進各国のほとんどがバブルとその崩壊を経験しています。言い換えれば、何もしなくてもそのうち地価と株価の下落は起きるはずだったのです。その上、一般に、地価というものは、急激に上昇して、その上昇がとまり、下落して、それでも以前よりは高くとどまり、そのうち物価上昇によって、土地の実質価格が以前の水準に戻るという傾向があります。

バブルの破裂
 それでは、どのようにして、バブルは破裂したのでしょうか。1990年に入って、円は下落し、4月に160円となり、そして反転して10月には124円に上昇するという動きを見せます。89年の5月から上昇してきた公定歩合は、90年の8月末には6%になります。89年の11月に、ベルリンの壁が崩壊し、東西ドイツの統一によって、ドイツの資金が国内の投資にまわされ、世界は金融緩和から金融逼迫(ひっぱく)へと状況が変化します。株価は90年に入って急落し、4月に28,000円、10月に20,200円、92年8月には14,000円台まで下落することになります。一方、土地については、公定歩合が前年度の5月から徐々に上昇している中で、90年3月に大蔵省が不動産への融資を制限する「総量規制」と不動産会社、建設会社、ノンバンク(住宅専門金融会社、いわゆる住専を含む)への融資状況報告を促す「三業種規制」の通達がなされました。そして、8月末に、日銀が公定歩合を5.25%から、一気に6%に引き上げることによって、土地の取引が停止し、地価は以後急激な下落傾向に入ることになったのです。
  一方、1988年の7月に、国債業務に携わる銀行は、自己資本の総資産に対する割合が8%以上でなければいけないという規制、すなわち BIS 規制ができています。BIS とは国債決済銀行(Bank for International Settlements)ですが、銀行がその基準に達していないなら、国際市場から排除されるのです。BIS 規制の交渉過程で、銀行の株式保有が許されている日本は、保有株式の含み益の45%を自己資本に組み入れることを認めさせたのです。含み益とは、時価が実際に購入したときの支出額、すなはち帳簿上の額を上回る部分のことで、実際に売られなければ実現されない利益です。BIS 規制の実施は93年3月から行なわれるのですが、87年から銀行は BIS 規制に備えて資金を調達し始めます。それは、株式市場から資金を吸い上げることになるので、株価の下落要因となります。そして、実際に株価が下落しだすと、日本の銀行はまた BIS 規制をクリアできなくなり、さらに資金を調達する必要が生じます。また、自己資本比率を高めるために、貸し出しを少なくするようになります。こうして、マネー・サプライは更に減少します。銀行の貸渋りは、地価の取引を一層停滞させ、地価の下落に拍車をかけることになります。
 株価と地価が上昇し、その担保価値が上昇して、銀行の貸し出しが増加していたバブル期に較べ、株価と地価が下落して、その担保価値が下落し、不良債券が大量に出始めたのです。買った土地は、その値段では売れない、担保を処分しようにも、担保価値が下がっていて、借りた金を返せない、金を貸した銀行側から見ると、借りた金を返してもらう権利すなわち債券が効力をもたなくなったのです。これが不良債券です。
 金融機関の不良債権問題が表面化するにつれて、マスコミは悪者探しに躍起となります。銀行が悪い、不動産業者が悪い、バブルが悪いなどというものです。不良債権はバブルの破裂によって生じたものです。しかし、「バブルを何故潰したのか」とは言いにくい状況です。バブルという表現が既にとんでもない事という意味を含んでいるので、バブル礼讃者とみなされるからです。しかし、バブルが何故できたのかということと、バブルが何故破裂したのかということを切り離しては論じられないのです。何故ならバブルは、破裂したからこそ「バブル」となったのですから。バブルを風船に例えてみてください。風船に空気を入れてゆくと膨らみます。どんどん空気を入れてゆくと破裂しますが、空気を十分に入れて、そこで止めると風船はそのままです。この風船が危険であるとみなして、針で突くと、破裂してしまいます。このとき、風船は、バブル(泡)になったのです。総量規制や6%の公定歩合は、風船を破裂させる針だったのです。風船をほっておくとどうなったでしょうか。やがて、自然に空気が抜けて、しぼんでゆき破裂する危険はなくなったはずです。
 その結果として起きた不良債権問題は、日本だけの問題ではなかったのですが、日本が問題を先送りして、取るべき手段をとらなかったことが金融危機を大きくしてきたのです。ただし、他の国が風船のしぼんでしまったのに、日本では破裂させてしまったのです。
 もちろん、日本では風船が膨らみ過ぎていたということがあります。風船が膨らみ過ぎたのは、市場開放策をとらないことによって、低金利以外の政策を不可能にしていたこと、銀行の不動産業への集中的な融資にストップをかけられなかったことが原因といえます。銀行が不動産に集中的な融資をしたのは、他に投資機会がない上に地価が上がり過ぎたことです。地価が上がり過ぎたのは、過去の日本の土地政策が土地の供給と有効利用を妨げるものであったことの結果です。地価が急速に上昇した時期には、即座にマンションやオフィス供給を増加することは困難です。しかし、需要の増加による価格上昇に応じて新しいマンション、ビル等の建設が始まり、それが数年後に完成する時期には、価格上昇が落ち着いていたはずです。加えて、土地に対する規制を緩和するなら、供給は一層大きくなり、地価の下落につながったはずです。土地に対する規制とは、土地税制、借地借家法、容積率、建ぺい率、日照権などで、これらの規則を緩和していたなら、土地取引を促しかつ居住面積とオフィス面積を増加することができたはずです。

長引く不況の原因
 平成不況がより深刻化してきた原因は、政策当局が、当初(1991年後半)不況を認めようとせず、また金融機関の不良債券をすべて明らかにして、公的処理を行うことをせず問題を先送りにしてきたことにあります。これらは、やるべきことをやらなかった例です。一方、やってはいけない政策もとってきました。供給を増やして地価を抑えるという市場を通じた方法ではなく、人為的に土地取引をストップさせることでバブルを終結させたことがそうです。また、アメリカに公共投資による内需の拡大を約束したにも関わらず、そして不況に苦しんでいる日本経済を活性化しなければならないにも関わらず、1997年度に消費税率を3パーセントから5パーセントにアップさせ、特別減税をやめ、大型補正予算を見送るなど、緊縮財政予算を組んだことです。それまでは、1993年に13兆、94年には15兆の総合経済政策をとり、それでも、バブル後の不況によって、内需が少なく、貿易黒字が拡大し、1994年の4月には、1ドル80円の円高になったことから、1995年からそれ以降10年間に、合計630兆円の公共投資をするという新10年計画をスタートさせたにも関わらず、1997年に、前年比15兆円の支出削減を行ったのです。不況期に増税をすると、国民総所得が減り逆に税収が減るというのは経済学のイロハです。
 図1を見てください。曲線LMは、金融市場と均衡させる利子率と国民所得の組です。それぞれの曲線がどうしてこのような形をしているかについては、マクロ経済学の入門的テキストを読んで頂くとして、ここでは、それを所与として話をすすめます。


図1 増税の効果



図2 減税もしくは公共投資増の効果


 曲線LMが水平な部分は、利子率が最低水準でかつ総需要量も少ない不況の状態です。マネーサプライを増加すると曲線LMが右に、減税か公共投資増をすると曲線ISが右にシフトします。2つの曲線の交点は、総需要を表わします。増税をすると逆に曲線ISが左にシフトしますから、新しい総需要D1は以前に較べて減少します。一層、不景気になるのです。これが1997年の増税の効果だったのです。曲線LMが右にシフトしても、曲線ISとの交点Eは動きません。マネーサプライを増加しても効果が少ないのです。
 曲線LMが水平な領域は「流動性のわな」とよばれる状況で、このような時には、財政政策、それも減税か公共投資の増加によって、曲線ISを右にシフトさせなければならないのです。それも、社会資本を充実するなり、日本の産業の生産性を向上させるような投資なら更に良いでしょう。例えば、小中学校の、1クラスの定員を欧米の先進国並の水準である20人にするというのは現在の初等教育の抱えるほとんどの問題(いじめ、犯罪の低年齢化、学力低下等)を解決する切り札となり、校舎の建築、先生の増員を通じて総需要を拡大し、更に、教育の質の向上を通じて日本の将来の労働生産性を上昇させる公共投資です。24時間営業の公立の保育所をつくることは、やはり総需要を刺激し、女性の労働力の活用を進める公共投資になります。
 それでは財政再建はどうなるのだという人もいます。財政再建と減税や公共投資増は、両立するのです。恒常的に存在する無駄な政府支出を抑えることは重要ですが、景気を悪化させるようなら財政再建をすることはできません。財政再建の効果的な方法は、第1に景気を回復させて、国民所得を増大させることです。従って、不況期にはともかく景気を刺激して、それによる税収増を期待すべきです。財政赤字を大幅に減らすためには、第2に単年度会計をやめることです。年度末に、無理矢理予算を消化することで、日本全体のすべての公的機関が浪費する金額は巨大です。小中学校の1クラス40人学級を問題とせず、教育の荒廃を語ることがおかしいように、単年度会計を問題にせずに、財政再建を語ることがそもそもおかしいのです。単年度会計を改めるなら、公共投資による社会全体の充実がより容易になり、景気を刺激しつつ、財政赤字を大幅に減らすことが可能になるでしょう。
 以上で長々と述べてきたことは、繰り返して言うと、経済学の限界ではなく、経済学に対する無知が、経済危機を作り出したということです。アメリカが経済学に忠実に経済政策をして経済を再興させたのと対照的です。したがって、複雑系の経済学を研究するにあったっても、従来の経済学を否定するのではなく、従来の経済学をより発展させてゆくことが大切だと思うのです。

何故規制緩和が必要か
 従来の経済学は、現実に使えるにもかかわらず、それが無視されてきたことを最近の金融危機を例として説明してきました。最後に、規制緩和の理念を説明し、科学としての複雑系経済学に話をつなげていきたいと思います。
 経済学は市場メカニズムの働きを研究する学問です。市場は、個々の人間や企業の自主的活動を促す「場」です。そこで生まれる競争が経済を動かしてゆくと考えるのです。自主的活動の逆は、「強制」に従う活動です。「強制」より穏やかな言い方をすると「規制」です。
 みなさんが、小学生の頃、運動会の100m競争では、どのようにして一緒に走る組分けをしたでしょうか。東京の小学校では、走るのが遅いほうから、4人あるいは5人ずつ組に分けて走らせます。こうすると走るのが遅い子は、同じ位に遅い子と一緒に走るので、恥ずかしい思いをしないで済みます。先生方は、みんなが良い子で、みんなが足が速い子だと父兄に思わせたいのでしょう。しかし、足が速い子が運動会で勝っても、それで足の遅い子が不幸になるとは思いませんが、いかがでしょうか。
 何故、学校を休んだらいけないのでしょうか。行きたくなければ時々休んだり、学校を休んで家族で旅行をしてもよいと思うのですが。登校拒否というものは、学校には行かなければならないという暗黙の規則がなければ存在し得ない用語です。
 どうして、1人の担任の先生が高校進学の内申書を書くのでしょうか。その先生に嫌われたらそれで終わりというのでは生徒の人生に与える影響が大き過ぎます。
 これらは、すべて国、都道府県、市町村と上から決められてきた規制によるもので、日本の常識が世界の非常識である例です。日本の大新聞がすべて同じ報道をし、TV もおなじような番組を流すのも、日本の物価が高いのも、やはり過度の規制が原因です。もっと緩やかな規則の下で、自由な競争をすれば、自然に個性が発揮されるでしょう。これが規制緩和が必要な理由です。規制緩和ですらアメリカからみれば十分でないのです。deregulationとは規制緩和ではなく規制廃止のことなのです。
 経済学では、自由な競争が資源配分を効率的にして国民の厚生が高まることを、そしてもしそれが当てはまらないとしたらどのような場合かを研究します。もちろん、「自由」といっても「無政府的に」という意味ではありません。競争が公正に行われるための最小限のルールは必要になります。

誤った理解を生む原因は
 以上で、新古典派経済学以外の近代経済学が未だ現れていないこと、そして経済理論が有効であることをスペースをとって説明してきたのは、複雑系経済学についての誤った認識を広める本や論文が多く出ているからなのです。これは、複雑系経済学に限らず、学問、教育、新しい技術、創造などについての誤った理解が、最近広まっていることの現れなのでしょう。創造的理論は、既成の理論の地道な研究の延長上で生まれるものであり、空から降ってくるものではありません。この点をマスコミが誤解しているという意味で重要です。そしていつの間にか創造と個性の名の下に、単に変わったものがもてはやされる時代になりました。個性化入試の進行で、日本の大学卒業生の基礎学力は、眼をおおう程低下していますし、「いじめ問題」が深刻化しても、1クラス40人学級と初等教育の管理は改まらず、本来は、自由を意味するはずの「ゆとり教育」という名の下で、数学の総授業時間数が先進国中で最低となったことは、マスコミでも伝えられていません。
 創造性や個性を「変わったもの」と解釈することで、物事の因果関係や論理的思考が排除され、意味のない表面的な違いが個性や創造性と勘違いされているのです。新しい理論は、既成の理論の矛盾を解き明して、発展させたものであって、決して既成の理論に、更なる矛盾を重ねたものではないはずです。背景に、既成の理論を踏まえた上で、乗り越えた真の創造ではなく、既成のものと異なるだけの幻覚を、あたかも創造であるかのようにもてはやす日本社会の現状があるからです。
 何年か前に、東京大学の入学試験の国語の問題で、映画の「寅さん」の台詞が出題された時のことを思い出します。新聞で、「みんなが柔らかい人になったら、これから誰が地道な仕事をやってくれるか!」という正論を述べたのは安部譲二だけでした。ジャーナリズムに登場する多くの文化人は、安部譲二がもつ見識に何故欠けているのでしょうか。日本の教育と科学技術の未来を築くためには、誤った学問観を正すことが必要です。そのために、また複雑系経済学の本当の研究とは何なのかを理解してもらうためにも、誤った先入観を排除することが必要なのです。